天狗棚(標高1,240m)は、鎌倉時代から天狗の住む霊山として近郊の村人から崇められ、また、寄り付き難い場所でありました。天狗には大天狗、小天狗がおり大天狗は、山伏の姿で鼻が高く翼を持ち小天狗は烏に似ていて烏天狗、木葉天狗とも言われています。
大天狗の舞がある村最大の行事「花祭り」は、毎年冬の最中に開催されます。また奥三河の山々には、「高嶺祭り」と言って、天狗を祭る場所が数多くありますが、その本拠は津具の天狗棚であり、大天狗が棲んでいました。大天狗に憧れた小天狗達が各地から集まり、この近くの石の広場で修練を怠らなかったと伝えられています。
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| 設楽町の伝説に天狗棚大天狗と碁盤石山の天狗とが碁の対決をし、碁盤石山の天狗が負けたことから怒って石の碁盤を持ち上げたといわれ、今でも碁盤石山の山頂には、傾いた石の碁盤が残っています。 |

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津具と豊根を結ぶ道筋に、だいじょう峠と言う場所がありました。
峠には松の古木が一本立っており、その根元に平らな休石が置いてありました。
この松の梢は上に伸びることなく平らになっているので、村人はこの松には天狗が飛んで来て降りるから、上に伸びないと言い伝えられていました。
ある夕方犬を連れた村人がその休右に腰を掛けて一休みしていたら、犬が上を見てけたたましく吠えるので、頭上を見上げたら、松の枝に血のしたたる人間の片腕がぶらさがっていたそうです。 村人は、驚いて一目散に逃げ帰って、この話をしたところだいじょう峠の松は天狗の降りるところであるから、天狗は悪事を働いた者の腕をもぎとって、見せしめに峠の松に、かけたのではないかと皆が揃って言いました。
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東栄町の振草谷を通り、山道を幾曲がりもして坂を登りつめると、やっと津具が、一望に見える場所に到着します。
この場所は段戸と言って昔から天狗の森といわれる鬱蒼とした森がありました。中でも桧の古木が群を抜いた大木で、その木には、いつもしめ縄が引っ張られ、毎年高根祭りと言って、この村落の人達が天狗様をまつり続けていました。
しかし、時代の流れとともに、さすがの天狗の森木も台風で倒れたり、木の寿命が来たりして、だんだん縮小されて来ました。
太平洋戦争後にもこの一本の桧が残っていましたが、枯れだしたので戦後の復興に役立てようと氏子の人達が相談し、天狗様に断りを言って売却しました。非常な高値でした。目通り一丈近い大木からは立派な材が取れたそうです。
しばらくは、氏子の人達も喜んでいましたが、だれ言うことなく、天狗は空を飛んでおり、直接は地面に降りることなく高い木や岩場に降り、しばらく人間達の様子を伺っていて、気が向けば地上に降りると言われるから、桧を伐って、もしよくないことでもありはしないかと、心配し始めました。
幸い木を売ったお金がたくさんあったので、早速石工に穎み、切石で立派な石壇を積んで清浄な場所をこしらえました。
今でもこの石壇の場所で毎年高嶺様のお祭りをしています。
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なお、この村には、何か事あるごとに天狗のあかりが村を取り巻くように嶺々に灯ました。始めは小さく、ほのかに天狗棚に現れ、それが次第に数を増してあたかも村を守るかのようでした。ことに鎌倉時代より続いていると言われる郷土芸能花まつりの夜は、舞の行われる白鳥山にそのあかりが一段と映えました。村人は天狗様が舞を見においでなさった。と言い、舞にますます力がこもったそうです。夜明けとなって舞が終わるころ知らぬ間に明かりが遠のいて行ったと古老の言伝えがあります。
また、津具村には、天狗太一の話が語り継がれています。太一が草刈りをしていると、ある日突然大天狗が現れ、「太一良いことを教えてやる」と天狗棚に連れていき峰々を七日間も飛び続け太一が村に帰された時には、不思議な霊力を持つようになったといわれています。
速い昔から天狗を信仰することでだれも超人的な霊力が授かると、今でも信じ祭りが続けられています。
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